日進月歩~20代で直腸がん再発、闘病平癒を願って。日々、よいことをみつけよう

20代で直腸がん、ストーマ増設。ストーマ閉鎖術前に再発。闘病の始まりです。『初めてブログを読まれる方へ』に経緯を記しています。

お詫びと報告(1週間の出来事)

前回の続きです

 

 

この一週間は忘れることがないだろう

何もかもとにかく展開が早くそして絶望に変わる

 

6日前 

行動 母が入院生活でこの子は二階に上がれることが出来ない(お腹の腫瘍が大きく他の臓器を圧迫している)と思いレンタルのリクライニングベッドを一階に設置する

その日、病院に行った母は姉が「家に帰りたい(帰れる体調ではない)」という要望に応じて

タクシーで帰ってくる←私はそれに反対していた 

なぜなら、腹からの大量の膿 嘔吐物に黒い血 どうしようもできない激しい痛み 家でそれが診れるとは思わなかった 万一取り返しのつかない事が起きたらと思ったからである 姉が病院にいたら望みはあると信じていたからである

(後に分かったことだが、病院側は彼女の薬が効かない体質と癌の肥大速度にお手上げ気味で母に正月を迎えれるか分かりませんと言っていたらしい。正月は無事過ぎたので母は信じてなく 私に言わなかったのは私のすぐ顔にでるアホさと姉は私の言うことを信じる性格にあったので 私が「大丈夫よ!」っと言ったら「大丈夫なんだ~」と思うことからです。正解でした。

 

5日前

トイレに行きにくくなる トイレの回数も増える

この頃からストーマがスカスカ

食事は全部吐いてた

母と姉のサポートを交代制でみる

 

4日前

ポータブルトイレ おむつ(膿がひどいため) を買いに行った

この頃滑舌と記憶(薬を二回飲もうとするなど)が少し悪くなったように感じた

これは薬の副作用の関係で体が完治したら治ると自分に言い聞かせた

彼女は痛みとトイレでほとんど寝てないと思われる

 

3日前AM1時

姉のトイレに行くサポートをしていたら腹から大量の血 青ざめた顔

お腹をみたら膿が出ている少し横が裂け弧を描くように血が出て私はパニックで父母を起こす→車で病院(1時間かかる)お腹の血の勢いが弱まった所をガーゼでふたした感じで全然良くない状況だった

姉はそんなんでも病院に行きたくないと母を叩いて「私こんなに元気なのに」と言うのをどうにかなだめて車に入れる

病院 別室に私達はいたが かなりわめいている姉の声が聞こえた

医者からこのままいくと一週間もつか分からないと言われ

万が一の場合延命治療(姉の体に管まみれにして本人に意識なしの寝たきり状態)するかどうかの選択を迫られた

私達は延命を取らなかった それは姉が沢山頑張っているのを見てきている

ただ脈拍を維持するだけの措置は不要で本人を楽にしてあげたいという私の気持ちが強かった お姉ちゃんが生きているんだという実感を持つために姉が苦しい状態で生き続けるのはいかがなものだろうか・・・この手の選択に正しい解答はないと思う

 

2日前

病院に来てからずっと痛みにわめいていて父がモルヒネ(これは使うと心臓は弱り死のカウントダウンとなる)を使うことを許可し投与して静かになる

これ以降 目は閉じ 体も動かない 言葉も話さなくなる

医者は本人が今ちゃんと寝れてますと言われる

 

1日前 

さらに肺に水が溜まり心臓に負担がかかり呼吸がしにくくなり脈拍低下の死に至ると言われ(おぼろげ)死が近いことを気づかされ、でも奇跡を信じるしかなかった

脈拍は140ぐらいで100切ったらすぐ下がっていくからと言われる

私はずっと表示板とのにらめっこをしていた

 

AM4時頃

呼吸をするのが苦しそうで酸素量二倍

脈拍が200とかなる

 

AM8時頃

不安定な脈拍で死がすぐだとみられ 母と私で手を握って話しかける

一回強い力で握られて反応してくれてと思う

最後の瞬間 私が握っていた右手をあげて胸の前でおりた

その時手の皮は固くなった

「?」そんな力はないはずなのにどうして動かせた→後にこれは妹に別れを言ったのよと母に言われる AM9時永眠

 

以上

最後まで読んで下さりありがとうございます。

姉は迫りくる体調悪化や死の恐怖に耐えながら前向きに生きていたことは残された人達に生きるという課題を残したと思います。姉を含め生きたくても叶わなかった命は沢山あります。どうか命を大事にしてください。