日進月歩~20代で直腸がん再発、闘病平癒を願って。日々、よいことをみつけよう

20代で直腸がん、ストーマ増設。ストーマ閉鎖術前に再発。闘病の始まりです。『初めてブログを読まれる方へ』に経緯を記しています。

ことのはじまり

 

 

何故私が今に至るのかを記します。

 

 

 

 

中堅どころで激務のため無理がたたり、体調不良に。

とうとう40℃越えが出て下がらずシバリング、近医病院に救急搬送。

ある疾患がみつかり大病院へ。

疾患のため手術後、3日間まったく回復せず。

さらにその病棟看護師に雑に扱われ、フェンタニル持続静中であり、いろんな薬剤を使用してもなお下がらない高熱で朦朧状態の中でも悲しみにくれる。

このような状態の中、頑張って歩くようにとおっしゃった師長と主任の所業は忘れない。

なんと敗血症起こしていたため、外科の緊急手術となり(ICで外科医からなんども「いつ死んでもおかしくない状態なんですよ」と家族・当人の前で言われる)ICU入りし5日間重篤状態に陥る。この外科の手術の際、いつ死んでもいい状態でありながら直腸がんが発覚しさらに直腸がんの緊急手術も施された。

術後は主治医二人が手をぎゅっと握ってくれていた。泣きながら何度もお礼を述べた。

ICUではいたせりつくせりで、手厚い看護に涙した。

一般病棟に移り、7本の管に繋がれて過ごす。数日後、体の自由きかないもどかしさ、ズトーマが身体にあるという事実、様々な辛さから初めて過呼吸になる。

管が一本一本外され、今度はストーマの手技訓練にいそしむ。自分がオストメイトになったことに泣きながらも練習する。

目立った合併症が術後すぐのビリルビン上昇と下がらない熱だったため、それが解消されたのちは順調に回復。予定より1週間以上前に退院。

 

退院後最初の外来で自分が直腸がん期であることを知らされる。入院中はがんであることは触れられず、悪いところをとったと知らされていたが、うすうす勘付いてはいたが、号泣。

年齢も若いとのことで予防的に抗がん剤治療開始(UFT+ユーゼル)。副作用自体はたまに嘔気と食欲不振がある程度で

6か月飲みきり、ストーマ再建術のためのCT10cm大の腫瘍が2つも発覚。泣いた。

PETののち、腫瘍を調べるため検査入院、細胞診、注腸検査と無事に済んで退院。

退院まもなく腰部激痛、39℃越えの熱で病院へ。メロペン開始。鎮痛剤にはソセゴン+アタラックスP、高熱にはアセリオ。薬漬け。CTでは水腎症(前回も指摘あった)が少し大きくなっており、腎機能少し低下、経過観察と。

検査入院の結果が出て、腫瘍はアデノカルチノーマ、直腸がん再発。腫瘍を小さくするために抗がん剤治療をしなければならない。腎機能低下しているため(両方に水腎症あり、特に右においては腫瘍が尿管を圧迫し水腎症大きくなっている)治療を行うために腎瘻増設を提案。大号泣。

泌尿器科と外科の総意で腎瘻増設を勧められ、最初は断固拒否したが、緊急時にまたひどいことが起こってはかなわないと腎瘻増設の決意を固め、無理を言って泌尿器科を受診。腎瘻増設の説明を受ける。「腎機能よくなってるね」と血液検査を見て先生がぼそり。さらにエコー時「……小さくなっている」

どうやら水腎症はあるにはあるが、小さくなっている模様。腎瘻増設なしで化学療法可となり、嬉しさで涙が出た。

次の日早速、Xeloda療法開始。大きな副作用なく退院。一日数度嘔吐があったくらい。

退院後、もともとあった嘔吐の症状に加え、手足症候群、全身発疹、ひどい口唇・口内炎に悩まされつつも1コース目終了。皮膚科行きレベルだったらしい。前回の抗がん剤と比べこんなにも副作用がひどいとは。

入院中に障害者手帳4級を取得。

現在も治療中、治療を頑張りつつ、素敵なもの、いいものを発見して暗い気持ちを発散させたいです。

(近親者にしか病気は伝えていないため、時系列はぼやかせてください)

 

 

2015/6/4著